写真入り・山日記

          

   北アルプス 槍穂縦走 



      7月22日〜25日 3泊4日 小屋泊


      
 槍が岳から穂高への縦走は、なんと40年越しの計画なのであります。
今から40年前、高校の山岳部の時に槍穂の全縦走を計画し学校に提出した所、顧問と前顧問とOBと、寄って集って嘲笑され罵倒され否定され・・・まっ、鼻で笑われて終わっちまった訳です。
それ以来、俺等の実力では皆して笑い飛ばす程に凄いルートなのであるか?と憧れ続けていた訳です。
で、近頃では大昔と比べると格段にルート整備も進み、鎖やハシゴも充実しているので、年寄りや女子供でも行けるようになったと雑誌などで読むにつけ、これはやっぱし足腰丈夫な内にやっつけておかねばなるまいな、と、言う事で、この度の山行になった訳です。
で、迷ったのは・・・梅雨明け直後を狙うか、紅葉の終わった頃に行くか?でありました。
理想としては気温が高い、雨は降っても雪と言う事は絶対に無い梅雨明け直後なのでありますが、この時期は天気も未だ不安定でありまして、流石のおっさんも観天望気に絶対の自信は持てないのであります。
そして、確実に良いと分る気圧配置になればお山は人でごった返す事間違い無しな訳で、見極めに苦慮する所な訳であります。
しかし、天気図とにらめっこの結果・・・次の月曜からは晴れ基調である、と断定し、ンじゃぁ行っちまうかぃ?と言う事になった次第であります・・・この天気予想はほぼ当たっちまったのがおっさんの運の良さでありまして、三泊四日、とうとう合羽の出番は無かったのであります。

    前説おしまい。



    2012年07月22日 (日)曇り/雨 



家から6時間30分・・・11時10分 新穂高の無料駐車場到着

 宮城インターに入ったのが4時45分でありました。
群馬で東北道から北関東自動車道に乗り換え、上信越自動車道を経由して長野自動車道で松本まで・・・500キロ弱、給油で一度停まっただけで走り切っちまいました。
で、高速を降りたら上高地方面へ158号線を適当に走って安房トンネルを抜けて新穂高温泉へ。
家を出てからほぼ600キロでありました。
日曜日なので無料駐車場は混んでいるかと思ったんですが、前日に大雨警報が出ていた事や、当日も時折凄い雨脚の雨が降っていたりで登山者も観光客も少なかったようであります。

 

11時25分・・・本日のお宿、槍平小屋へ出発

 昨年行った南アルプスの奈良田もそうでありますが、行ってみると小さな観光の街であります。
しかも、槍に行くにも穂高に行くにもメインコースは上高地からな訳で、思ったよりも静かでありました。
新穂高温泉の名物、ロープウェーの辺りも人はまばらでありました。
おっさんはキッチリと登山届けを提出し、看板に従って登山道へと向かったのでありました。


いや、これが登山道ですか・・・?

 さて、歩き始めは不穏な雲行きでありましたが、何となく雨は止んでいましてカッパ無しで歩けたのは幸いでありました。
看板に従って槍平小屋を目指したんでありますが、砂利では有りますがとても立派な林道でして、船形山周辺の林道なんか話にならない程に整備されているのであります・・・こんだけ良い道でも車は上げないんだな、と。
白出沢との出会いまで、一時間以上は立派な林道歩きでありました。


藤木レリーフであります・・・誰ですか?

 おっさん、遭難者の碑を山で見掛けるのは正直言って嫌いです。
どんなに凄い登山家で、先鋭的な登りをした開拓者でも、死んじゃぁダメです・・・と、思うんですが。

 レリーフを過ぎるとすぐに滝谷の避難小屋を通過し、滝谷を渡りました。
ガスが濃くて何も見えませんでした、が、本来はすばらしい景色が見えるんでありましょう・・・滝谷の岩壁とか。

  

木道が見えて小屋が近い事を察しました。

   槍平小屋までのコースはいつも歩き慣れている東北の山の登山道と大差無しでありました・・・いや、通行量の割には掘られている事も無く、とても安定しているのであります。
で、勾配も緩いんでグイグイと歩ける道でして、思ったより早く小屋に着く事が出来ました。
なんと言ってもスタートが11時半頃で、地図のコースタイムでは休みを含まず4時間半となっている訳です。
4時間で行ったとしても到着は3時半・・・のんびりはしてらんねぇよなっ、と、言う事で少し急ぎました。


2時25分・・・槍平小屋到着

   途中で下山して来る人と随分遇いました・・・槍に行って来たんでしょうか?皆さん合羽にスパッツ姿で疲れた感じで有りました。
で、登って行く人も随分追い越したんでありますが、これが言っちゃぁナニなんですが、信じられない程に遅い訳です。
で、この後同室になるSさんは、新穂高から6時間掛かって来たと言う事で、明日は槍に登る、と。
で、ご自分でも心配していましたが、日没までに辿り着くのかドーかと・・・おっさんは無理だと思いましたが。


槍平小屋の夕食です。

   槍平小屋のロケーションは八ヶ岳の赤岳鉱泉に似ているなと思ったんであります・・・林道を長く歩いて良く整備された登山道をひと歩き、と。
しかし、晩飯の内容で比較すると、槍ヶ岳と泉ヶ岳程の差も感じられるとおっさんは思いました。
いや、喰って不味かったとかじゃ無しに、赤岳鉱泉と比較したら質素であるなぁ、と、感じたのが偽らざる気心持ちでありました。

 小屋は空いていました。
蚕棚になって上下二段、横五列=二十人が寝られる部屋に、下の段の角に一人づつ四名での利用でありました。

 で、ここで同宿の人たちに恐ろしい事を吹き込まれちまう訳です。
おっさんが槍も穂高も初めてだと言うと、全員が異口同音に「西穂は止めておけ」と言うのであります。
極めつけは、超ベテランらしいジイ様で、長谷川ピークだって越すのには大変なのに、初めて来て西穂を目指すなんて安易に考えるんじゃない・・・だから最近の若いもんは・・・ブツブツブツブツ・・・と、宣うのでありました。

 いや、談話室で消灯近くまでビールを呑んで皆で話し込んでいたんでありますが、この、のんびりした雰囲気は穂高の稜線上の小屋では無いもので、槍ヶ岳へ向かうと言うのは、穂高へ向かうよりも少し楽と言うか、ビギナーと言うか・・・まっ、お手軽な登山なんであるなと言うのを感じました。



     2012年07月23日 (月)曇り/快晴/曇り 




明け方は強い雨が降り、出発時は厚い雲に覆われていました。

少人数での宿泊で快適に熟睡し、ほとんど疲れも無く、良い感じで槍ヶ岳へ向けて出発でありました。
本日の目的地は南岳小屋でありまして、休息を含まないコースタイムとして、槍ヶ岳まで五時間・槍の穂先往復一時間・南岳小屋まで三時間=9時間程度、であります。
三時に着けば良いと言う事で、6時15分の出発は妥当であろうと・・・ほとんどビリの出発でした。

 

初めはこんな感じで樹林帯の普通の登山道であります。

 さて、出発して30分も行きますと先に出た全員を抜いちまった訳であります・・・いや、ホントに飛ばしてません。
皆さんは今夜は槍ヶ岳山荘に泊まると言ってたので急ぐ必要は無いと言えばそうなんですけれども・・・普通に歩けば槍ヶ岳に登って余裕でその日のうちに下山できると思うんですけれども、でも、この手の贅沢とも言えるのんびり登山もしてみたい気もします・・・しかし、宿代とビール代で諭吉が一枚消えると思うとおっさんは下山しちまうかな?


奥穂からジャンダルムでありましょうか?

 2600くらいで森林限界を超えると急に展望が開けまして、デデーンと西鎌尾根・・・で、少し登ったら槍の穂先が見えました。
昨夜は槍ヶ岳山荘に泊まって早朝に槍の穂先に登って来たと言う団体さんとすれ違った時に「雲がかからないうちに急いで行きなさい」とハッパを掛けられたんでありますがガレ場とザレ場が入り交じって歩きにくく、しかも急勾配でして「ハイーっ」と返事をしつつもスピードは上がらないのでありました。


雲は完全に切れ、ドピーカン・・・槍の穂先が見えてます。

 下山に向かう人がとても多く、あんな雨の中を登った人も多かったのか?と感心するやら、北アルプスは槍ヶ岳の底力を思い知るやら・・・うーむ、槍の穂先は上り下りで渋滞するとも言われているし・・・恐ろしい所に来ちまったかもしれない、と、山の怖さとは異質なものにビビっちまうおっさんでありました。


笠ヶ岳とその稜線です。

 西側には笠ヶ岳のどっしりとした姿が見えまして・・・いずれはこれも登らなくちゃな・・・あっ、昨年見た甲斐駒ヶ岳も外せないよな・・・なんて事を思いつつ、しかし、息は上がりっ放しにシンドイのでありました。

 フウフウとかゼイゼイとか喘いでいると、飛騨乗越(ヒダノッコシと言うらしい)の分岐点に出て小屋まで後一息。
で、槍ヶ岳山荘へ向かって行くと最初にテント場が見えたんでありますが、これがまた際どい所に有るものでして・・・酔っぱらって歩いたら転落するんじゃねぇ?と言う微妙な場所なのであります。
しかし、こんな場所に整地されたテン場が有るだけでも凄いと思いますが。


9時07分 槍ヶ岳山荘到着であります。

さて、待望の槍ヶ岳が目の前に迫って来ました・・・おお、槍ヶ岳山荘の前には大勢人が居るなぁ・・・ここが3000メートルの高山とは思えない賑わいであるな・・・ありゃぁ、カップラーメンなんか喰ってやがる・・・ありゃぁ、こんな時間からビール呑んでやがる・・・ありゃぁ、山ガールかと思ったら山姥だったかぁ・・・と、言う感じで、しかも、皆様の格好がまるで雑誌のモデルか、または、登山用品店のマネキンの衣装一式、と言った感じなのであります。
アレです・・・老若男女、ジイジイもババアも老も若きも皆してタイツ姿でありまして、頭には、ツバの広いアメリカのレンジャーが冠っている様な帽子が流行っているのであります・・・いやぁ、それにしても、おっさんが納得できる山ガールと言うのは居ないもんであるなぁ・・・まっ、頭にタオルの鉢巻きをしているのは流石におっさんだけでありまして、田舎者である事を自ら宣言しているのは潔いなと、自分のファッションセンスに臆する事無く、槍の穂先に登るべくルートなど見繕っていたのでありました。


山頂に居た兄ちゃんに撮ってもらいました。

 槍に登るのに一番大事な肝は・・・順番である・・・取り付くタイミングである、と、おっさんは思います。
いや、岩場と言う程のものではなく・・・いや、間違いなく岩場なんですけれども、たたき落ちる様な場所と言えば・・・ハシゴで手を離した時?くらいしか無いと思う訳であります。
そんな訳で、雑誌の写真で見たり記事を読んだりして心配した様な事は何も無く、スルスルと登ってスルスルと下れるのでありました。


槍の穂先からハシゴの下を見たのと、これから行く大喰岳への稜線。

 まっ、この手の山に登りたいと思う人に高い所は嫌だと言うのは無いと思うんですけれども、ハシゴで降りるときの一歩目は高度感と言いますか、下を見たらズーッと下までアレなんで一度怖いと思ったら厄介かも知れません。
おっさんの写真を撮ってくれた彼は槍の頂上で立てない程高い所が苦手なのに、山頂からの眺めが好きで登るのだとか・・・変わり者です。


大喰岳は3101メートルと立派な標高なのに地味な山であります。

 槍の穂先から降りまして、ソイジョイで腹ごしらえをしまして・・・今回の行動食はソイジョイ10本とアミノバイタルゼリー6個と、6Pチーズであります。
バーナーなどの重りは置いて来ました・・・いや、小屋泊まりで持って歩いて使った為しがないので省きました。
着替えも三泊四日で一回分と、薄いフリース一枚であります・・・軽量化最重点。
その分、買うと高いんで水を三リットル背負って歩き、雪渓を見つけては雪解け水を汲んでいました。


ウズラでは有りません・・・ライチョウの親子です。

 大喰岳を越してすぐにライチョウの親子が居ました。
人間を警戒しないヒナがおっさんに近寄って来たので、しめしめ捕まえて持って帰ろう、と思ったら親鳥がヒナとおっさんの間に割って入って、子供は未だ喰っても身もありませんから、是非私を食べて下さい・・・と、言ったかドーかは定かでありませんが、親鳥はおっさんに向かって、少し悲しげな声でピーピーと鳴いたのでありました・・・怒ってたのかな?


次のピーク中岳への道です。

 ああ、ガレ場をテクテクと歩いていると知らない間に大喰岳でありましたので標識が無ければ通過しちまいます。
いや、実際に山頂はダダッ広くて、しかも縦走路から少し外れています。
で、今になって思い返すと、このような、地に足が付いたと言いますか、転んでも落ちない登山道は南岳の手前までで終わりなんであります。

 

中岳へのハシゴです、が、こんなのは序の口です。

 中岳を越してガレ場を下って行くと大きな雪田があって氷水が滔々と出ていました。
で、山小屋で水を買うと雨水が1リットル200円とかする訳ですから水を見つけたら総ての容器を満たすのであります。
手が切れる様な冷たさとはこの事でありましょう・・・この手の水を見ると頭を突っ込んだり水浴びを試みたくなるおっさんでありますが、流石に冷た過ぎました。
雪田を下ると、新道へ行けとの看板が有りましたが、おっさんは旧道を知らないのでアレなんですが、GPSを確認すると僅かにズレているようでありました。


南岳の山頂の手前で休憩・・・常念岳の姿が絶品でした。

 天気は最高でありました。
半袖一枚で暑く無く寒く無く・・・まっ、歩いていればの話でありまして、気温は15度も無いので休息時はウィントーブレーカーが必要です。
東北の山で慣れている稜線歩きの気分はここまででありました。
この後、北穂高岳を経て奥穂高岳へ向かっては、まずまず緊張を緩められる場所は少なくなるのであります。


本日のお宿・・・南岳小屋です。

 あんまし早く小屋に着いてもやる事無いし・・・で、南岳の日当りの良い風裏で少し昼寝などしていたら、通りかかった人が「小屋に泊まるんだったら受付は早い方が得だよ」と声を掛けて行ってくれたのでありました。
成る程、受付順に良い場所から割り振られるのであるからして早く行くのに越した事は無いな、と、おっさんも慌ててその人の後を追ったのでありました・・・南岳小屋到着は一時ピッタシでありました。

 
 

南岳から北穂高岳へ向かうには用心しろよ、と書かれてまいした。

 南岳の小屋も空いていました・・・80人収容の小屋に、飯時に数えた人数で12〜13程度でありました。
その他にテント泊が数名居ましたが、静かでありました。
で、南岳小屋の食事も、豪華ではないのですけれども必要にして十分・・・そして、何よりも良いのは、米と味噌汁がとても美味いのでありました。
セルフサービスのインスタントコーヒーは一杯目が200円なんですがお替わりは100円なので何杯か飲みました・・・普段は絶対に入れない砂糖をたっぷり入れたものが欲しくて、疲れているのかなぁ?などと思ったりして。

 いや、小屋は空いていたので槍平小屋と同じように四隅に一人づつの配置でゆったりなんでありますが、この日は巡り合わせが悪く、おっさんを除く三隅が爆弾イビキ攻撃の人たちでありまして参りました。
しかも、このうちの独りがとても常識から掛け離れた人でありまして、消灯後と言わず夜明け前と言わずマイペースで荷物をがさごそやる訳です・・・本気でブットバシてやろうかと思ったんですが大人の対応をしました。


これから行く北穂高岳方向であります。

 夕食は五時半で、消灯が八時半であります・・・朝飯は五時・・・うーん、ゆっくりトイレに行っても六時前には出られるな。
で、難所と言われる大キレットから長谷川ピークやら飛騨泣、そして、雑誌なんかではあんまし言わないけれどもホントの難所は涸沢岳の鎖場じゃないか、と言う所を越す訳であります。
コースガイドでの時間では、休息を含まずで、五時間半であります・・・たった五時間半?必死で休憩しながら行っても昼飯前に奥穂の小屋に着いちまうぞ・・・うーむ、先着順に良い場所だったからな・・・昼飯は奥穂の小屋でソイジョイにビールか?
と、言う事でのんびりと六時出発と決めたので精神的には余裕でありました。



      2012年07月24日 (火)曇り/晴れ 




昨夜同室だった先行者です。

 イビキ爆弾に悩まされながらも健やかな朝を迎え天気もまずまず・・・よっしゃぁ、大キレットを越すぞぉ、と、気合いを入れて出発すると、ほとんど同時にイビキ爆弾の二名も出発したでは有りませぬか。
で、この後、何となく常に前後しつつ難所を超えて行くうちに妙な連帯と言いますか、仲間意識と言いますか、昨夜の敵は今日の友とでも言いましょうか・・・まっ、和気あいあいと行く事になっちまった訳です。


しかし、厳しい場所で先行者と言うのは有難い存在では有ります。

 しかし、昨晩の恨みをキレイさっぱり忘れられる程には心の広く無いおっさんは、着かず離れず行こうとする訳ですが、少し間が飽くと待っていてくれる訳です・・・そして、「さぁ、これから長谷川ピークですから」とか気合いを入れて来る訳です。
・・・先に行ってもらって構いませんから・・・いや、是非先に行って見えなくなって下さい、と、心の中で願ってみるのでありますが、とても親切な人でありまして、「いやぁ、皆で渡れば長谷川ピークのナイフリッジも怖く無い」とか言って励ましてくれる訳です。


鎖の次はハシゴです・・・朝一は冷たくて手袋も欲しいかも?

 さて、先頭は、博多から来たSさんであります・・・二番手が博多から来たFさんであります。
が、しかし、この二人も知り合いでは無いのであります・・・昨晩小屋で知り合った訳です。
で、あまり多くを語らないSさんなんですが、訊くと、有名な山岳会で岩登りをこなしていた方で、本日のコースも20年近く歩いていて熟知している人だった訳です。
で、西穗まで行くとの事・・・おっさんは、是非一緒に行きましょう、と・・・心の中で宣ってみたのでありました。


大キレット・・・漢字で書くと「大切戸」だそうです。

 大キレットの先には長谷川ピークが・・・しかし、厄介なのはアレです、落石であります。
本日は梅雨の影響で未だ人が少ないのでナニなんですが普段は難所で順番待ちの時や先行者からの落石が頻繁でヘルメット無しでは危なくてしょうが無い、との事でありました・・・おっさんは日本古来よりのタオルの頬被りで代替えした次第でありますが、メットは持つべきでありました。


ビビらなければフリクションは効くし、手足はガバがナンボでもあります。

 で、大キレットの乗り越しとか、岩場の昇り降りがとか言われていたのでビビっていた訳ですが・・・ビビったのは大キレットのナイフリッジで少しドキッとした程度で有りました・・・ああ、落ちたら終わるな、と。
その他の岩場も基本的には落ちたらほとんどアウトなのですけれども、しかし、一歩づつ確かめて足を運べばなんて言う事も無い訳です。
普通にクライミングをしていても無造作に足を置いたりホールドを確かめずに掴む事は無い訳で、やっぱし基本道理でありました。
飛騨泣きは、登って行った事もあって殆ど、ナンだこりゃ、でありました。
で、一番堪えたのは・・・最低鞍部が2748メートルまで降りる訳ですが、折角3100以上まで高度を稼いでいるのに・・・ああ、何故にこんなに降っちまうの?と、登り返しに対する嫌気でありました。


北穗方向から見た大キレット・・・槍ヶ岳がガスで見えません。

 あらら、と気が付くともう北穗でありました。
うん、普通に登れば普通に通過しちまう難所でありまして、それ程大袈裟に構えなくても、と、おっさんは思ったんでありますが、Sさん曰く、本日はお日柄がとても宜しく、岩が乾いているし風もそれ程無くてとても条件が良いのだとか。
確かに、濡れていたら厄介だと思いますし、風も、狭いリッジでは怖いと思います。
で、Sさん宣う事には・・・鎖が増えたし、飛騨泣きでは足場のプレートまで入って、アレだから誰でも越せるんだよねぇ、と・・・今と昔ではグレードに相当な差があるのだそうであります。


飛騨泣き・・・鎖と足場のボルトで見た目より簡単です。

   しかし、おっさんは生来のうっかり者でありまして、登り過ぎちまうきらいがある訳です。
で、ルートを示す丸印を見つめつつスタートするんですけれども、次の一手を出す時にマークよりも自分の手を考えちまう訳です。
その結果、ルートを外して難易度を積極的に上げてみたりして苦労する訳です。
ここでもSさんからアドバイスがありまして、ルートを通る意味と言うのは登り易い事も勿論なんだけれども、ここは岩が脆く落石や崩落の危険が常に着いて回るのだと。
で、ルートは毎日何人もの人が足場を踏み岩に手をかけているので不安定なものは既に落ち尽くしている・・・故にルート通りに登るのが宜しいのである、と・・・こんなトコ、誰だってドーにでも登れるんだけど、それをやったら収まりが着かなくなっちまうのでダメだとお叱りを受けたのでありました。


八時半 北穗小屋到着

 いや、図らずもここで俄混成パーティーは顔を突き合わせての休憩に入った訳です。
で、Sさんからのアドバイスで、この先は滑落とか転落の危険よりも落石と滑って転んで落ちる事を気をつけろとの事でありました。
で、一番年上なんで君たちの登りのペースには着いて行けないから好きに行け、と・・・ここでチームは解散であります。


北穗山頂のおっさん・・・服は三日目で良い香りです。

 北穗の小屋に到着しても未だ早い時間なので二人しか居なくて・・・しかも、この二人とも昨晩は南岳小屋に居た人です。
で、南稜を下って横尾に抜けて上高地に下るのだと・・・いや、下りで七時間と地図には書かれている訳で、急いがないとバスが無くなるなんて冗談ともつかない事を言っていましたが、見えてる尾根は急で厄介に見えました。


結構まとまった雪でありました。

 北穗の小屋の直ぐ裏が北穂高岳の山頂でありまして、徒歩二分です。
で、そこから奥穂に向かうとすぐに雪渓なんでありますが、おっさんが入山した日にここで滑落事故で無くなった人が居たとの事で、皆して雪は嫌だと慎重に歩いていました。
いや、真面目にアイゼンが欲しい言っているんですけれども、おっさんの地方ではこの程度の傾斜では女子供でもアイゼンなんて欲しないと思っちまいました・・・いや、遭難した人が要る場所に対して不謹慎ですかね?


北穗の頂上から槍ヶ岳と大キレットがキレイに見えました。

 このままだと昼飯前に奥穂の小屋に着いちまう・・・また一緒の頃にチェックインしたら、またイビキ爆弾と同じ部屋になっちまうのは間違いない。
明日は西穗までの最大の難所を控えている訳で、今夜はなんとしても熟睡して鋭気を養いたい・・・先に行くか? 遅れて行くか?
Sさんは涸沢岳の登りで追いつかれるから先に行く、と出て行った・・・Fさんはおっさんが提供したソイジョイを喰っている。
よし・・・後から微妙に遅れて行こう、と。
Fさんが立った所で「先に行っていて下さい、キジを撃って行きますんで」とバラバラになったのであります。


前穂と6・5・4・3・2峰・・・登りたくなる尖りです。

 100円払って北穂のトイレに入りゆっくりとキジを撃とうと思ったんでありますが、これが小屋の見かけの立派さとは裏腹に結構な臭気を伴っている訳です。
タオルで塞いだのでありますが、これが三日も使っているタオルでありましてこちらもそこはかと無い匂いを放っている訳で、おっさんのキジ撃ち作戦はあっけなく頓挫してしまったのであります。
で、トイレを出て北穂の頂上に行くと、まだ二人して写真など撮っているではありませんか・・・終わったな、と。


穂高岳山荘には11時30分着でありました。

 さて、北穗の小屋から適当にそれぞれ出発したのですけれども、人間の足と言うのは大体揃っちまうようでして、やっぱしそんなにバラけない訳です・・・ナンボか前後しても登り下りで行き違いの待ちなどあると直ぐに追いついたり追い付かれたりするのであります。
で、待ちが出る所と言うのは難所な訳で、ンじゃ登りますか、と言うタイミングではやっぱし一つのパーティーになっちまうのでありました。

 で、北穂高岳から奥穂までも結構な難所が地図に記されているのですけれども、ここでもおっさんはルートを外して直登してみたり、掴んだ岩がすっぽ抜けて下にぶん投げたりして暴れたのでありました・・・いや、後続が居ないのは確認済みです・・・もっとも、正規ルートを外しているので後続は来るはずも無いのですが。
しかし、白ペンキのルートマークは所々飛んでいたり薄くなっていたりもして、本気で注意していないと見落とすのであります・・・いや、これホントです。

 で、このルートで一番面白かったのは穂高岳山荘に出る少し手前の涸沢岳に登る鎖場でありました。
しかし、ここでもおっさんは独自のルートを開拓したのであります・・・この時は下にSさんがいて、「そこ違うんだけドぉ、左だよ・・・行けるのぉ?」と、言う訳です。
で、大した距離でも無いし、今までの経験で稜線じゃない限り登り切った反対側が千尋の谷と言うのは無いと確信して登り上がってみると、そこにはFさんが一本入れていたのであります・・・うーむ、乗って来たぞ、と。


奥穂高岳の手前のピークを朝一で登って行く人たち。

 受付に行くとFさんが「三人です」と言っているではありませんか・・・それ、違いますぅ〜、とは言えなくて、ナント、今宵も隣はFさんでありました。

 穂高岳山荘は、おっさんの感覚ではとても混んでいるように思いました。
しかし、同室の他のお客さんの話では、本日は一人で布団一枚なのでとても余裕だと、土日は布団一枚に二人が標準との事・・・恐ろしい事であります。
おっさんは、三日目に着替えましたが、三〜四日なんて着替えない人たちが普通な訳ですから、密着して寝た場合の匂いなど、想像するだに恐ろしい・・・朝のトイレの渋滞なんて考えたら気が狂いそうであります。

 その夜は作戦を立てまして、五時から始まった夕食を速攻で食べ、五時半から消灯の九時まで、皆がくつろいでいる間に一眠りしちまおう、と言う事であります。
いや、11時半に到着したもんですから真っ昼間にビールを呑んでいた訳で、後は寝るしか無いと言う事実も作戦遂行を後押ししていたのであります。

 いや、Fさんはイビキは大人しかったんですけれども夜中や未明にザックから何かを探したりしてガサゴソやる訳です。
で、おっさんの提案なんですけれども・・・山小屋泊の時にはコンビニ袋、ポリ袋は止めてナイロン袋にしませんか?
ナイロンの袋は、あの耳障りで気になるガサゴソ音が比較的少ないと思うのであります。



       2012年07月25日 (水)曇り 




奥穂高岳山頂は台湾からの団体で混雑していました。

 
 奥穂も涸沢からなら比較的簡単に登って来られるのでかなり年配の人から、あまり登っていなさそうな人まで多士済々でありまして、従って奥穂の山頂にも、色んな人が記念撮影などしていました・・・穂高岳山荘から30分程度です。

 おっさんは適当に出発しようと準備していたら、FさんもSさんも準備万端・・・「ンじゃぁ、今日も宜しく」と、パーティーは成立であります。
しかし、Sさんは年齢的な事もあって登り足が弱く、常に遅れがちでありました。
で、Fさんは、岩稜帯でも二本ストックを駆使している訳で、これがおっさんには危なく見えてダメなのであります・・・しかし、彼はこれが無いと転ぶと言うのでありますからナントも言えません。

 

おっさんとしては一番肝の冷えた馬ノ背への登り。

 
 いよいよ一般縦走ルートでは最難関と言われる北穗から西穗の稜線に踏み込んじまった訳です。
奥穂のテッペンを越して少し行くとそこはおっさん的には一番ヤバいと思った馬ノ背であります。
奥穂から西穗へ向かうと全体的には下りになるので体力的には逆向きよりもナンボか楽だと言われています。
しかし、ナイフリッジや急傾斜では下りの方がより痺れます・・・それの顕著なのがここ、馬ノ背のナイフリッジであります。


ジャンダルムのテッペンには簡素なプレートがあるだけでした。

 
 ロバの耳、馬の背の難所を越せばすぐにジャンダルムであります。
おっさんが正面から登ろうと取りかかると白ペンキを見つけたエフさんがトラバースして回り込みました。
おやぁ〜と思いおっさんもそちらへ行くと、ぐるっと回ってとても楽な道が切られているのであります。
いや、これでは面白く無い・・・しかし正面はエフさんが登っている・・・よし、おっさんはこっちのスラブを、と、古い鎖の脇から登ってみました・・・岩が思いのほか脆くアレですけれども、しかし、手足の掛かりは抜群で登り易かったのであります。
途中には古いリングボルトが見られましたからここもルートなのでありましょう。


奥穂高岳、馬の背、ジャンダルムと続く稜線。

 
 うーん・・・ジャンダルムねぇ・・・いや、おっさんが登ったのが少し前の正規ルートかもしれない。
ナントなれば、古いスリングを残したボルトなんかもあったりして・・・しかし、何処も踏み痕に見える岩があって、意外と適当に登られているのかも。
と、言う事で、ジャンダルムの取り付きまで来ちまえば登るのは楽勝だとおっさんは思いました。

 ジャンダルムからは天狗のコルまで砂礫とガレ石の混じった落石の巣のような所をガンガン下るのですが、おっさんはこの手の下りが大の苦手でありまして、皆はさっさと行っちまうのでありました。
マムートのヘルメットの若い兄ちゃんにも抜かれちまいました・・・彼とは西穗山荘まで何度か前後して姿が見えると妙にホッとすると言う、影の相棒でもありました。


間ノ岳の長いスラブの下り・・・見た目よりとても簡単です。

 
 天狗のコルの登りでも鎖の下がっている所よりも、隣の溝と言うかチムニー風と言いますか、そこが登り易いと思って登ったら岩が脆くて、落石がただ重なって止まっているだけでありまして、下手に手を出すと全部崩れる・・・これ、ヤバく無い?と。
で、一寸踏ん張ってトラバースして鎖を掴んでドッコイショでありました・・・Sさんの注意を無視したら途端に追い込まれちまいました・・・しかし、白ペンキが不明瞭なのもまず確かな事であります。
自分で岩の登るラインが見えない人には単独では難しいかもしれないな・・・まさにおっさんの事であるなぁ、と。

   人によっては間ノ岳のスラブも怖いかも、とか言われましたが、とにかく、ホントにヤバイ所には鎖やボルトがある訳で、白ペンキさえ見失わずに慎重に登れば間違いは無いと思う訳であります・・・特別な技術よりも、慎重な注意力でありますか?


西穗の山頂は独標から来る人で混んでいました。

 
 間ノ岳が近づくと西穗は目の前であります・・・しかし、相変わらず落石注意の脆い岩稜帯が続きまして、痩せ尾根から落ちる心配や、スタンスの狭いトラバースで肝を冷やすよりも、常に落石を起こさないように、また食らわないようにするのに神経を使うのでありました・・・ヘルメット必帯であります。

11時02分・・・奥穂高岳を出てから五時間と少しで西穗の山頂に到着でありました。
五時間、殆ど緊張しっ放しであったのが解放され、もう落ちないと言う安堵感と達成感があったのはそうなんですけれども、もう登る所が無い・・・終わっちまったんだな、と言う寂しさも有ったのが偽らざる所でありまして、おっさんって、ヘボなくせに登の好きだったんだ、と認識を新たにした訳であります。

 いや、終わっちまったのかぁ・・・と、寂しさのようなものが一番強く感じたのであります。


新穂高温泉の駐車場に着いたのは午後の2時半頃でありました。

 
 西穗から独標までは未だナンボか岩山の雰囲気が有りますが、独標から先は嫌なガレ場や普通の登山道になっちまう訳であります・・・ああ、いつもの山歩きに戻っちまったなぁ、と言う感じで、新穂高温泉からのロープウェーで上って来る大量の登山者とすれ違うのに閉口しつつ、生ビールを呑みたい一心でFさんもSさんもブッチギって西穗山荘を目指したのでありました。

 西穗山荘になだれ込み、カレーと生ビールを注文し、キンキンに冷えた生ビールを呑んだ所でこの度の「槍ヶ岳〜西穂高岳縦走」は終了でありました。
で、西穗山荘からロープウェーの駅まで一時間程山道を下るのでありますが、それはもうおっさんにはドーでも良い事なのでありまして、山中に居るにも拘らずおっさんの山は終わっていたのであります。
観光風登山者が大勢、西穂山荘を目指してヨッコラヨッコラと登って来る訳ですが、時々聞こえる「コンニチワァ〜」の声に応える事もせず、肝の冷えたナイフリッジなど思い出し余韻に浸るのでありました。

 最後の難関はロープウェーでありました・・・ロープェーの僅かな乗車で片道に1500円も取られるのも痛いと思ったんでありますが、それよりも、満員の箱の中でおっさん一人が臭い異臭を放ち浮いているのをひしひしと感じつつ、下界では肩身が狭いなぁ、やっぱし山の中が良いなぁ、と思いつつ新穂高温泉に下ったのでありました。





     いやぁ・・・山は やっぱし良いもんです。



     この話 完




山の状況、情報は適当ですので、ご注意下さい・・・


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