よたよたと、山登り


    No.77

       

     目指せ 大滝キャンプ場

         1月22日〜23日 (土〜日)快晴

     雪山をなめるなよ・・・

     2011年の初山でありました・・・予定は、升沢キャンプ場〜大滝キャンプ場までの約8キロの林道歩きであります。
    目的は、大滝キャンプ場にある山小屋で、本年夏に予定している北アルプスの縦走の打ち合わせをする、でありました。
    で、この行事に当たっては昨年の12月末頃、おっさんが山小屋で使う薪を上げるべくチャレンジした訳ですが、当日はみぞれから雪へ変わる天候で濡れて重くなった薪など背負って行けるとは思えず断念した訳です・・・いや、空身だったので小屋までは行って一応様子は見て来たんでありますが。
    で、年が明けてからは千葉B氏が同じく薪を背負って荷揚げを敢行した訳ですが、この時は余りの積雪でラッセルが酷くやはり小屋まで行く事が出来ずに途中に薪をデポして来たと言う経緯が有る訳です。
    で、事前に少し打ち合わせなどした時に千葉B氏から「たかが大滝キャンプ場となめて掛かると結構大変だよ」との進言が有ったのでありますがおっさんは腹の底で、ナンボ雪が深い立ってたかが大滝まで、雑作も無い、と鼻で括っていたのでありました。

     さて、当日、大和町のまほろばホールで合流し、千葉B氏・三浦S氏・千葉S氏・ヨッちゃん・おっさんと総勢五名で升沢キャンプ場へと向ったのであります。 で、この時、近くに住み散歩の途中だと言う、船形山登山500回を記録している同山のヌシのKさんが現れ「大滝まで着ければ良いけどねぇ」などと宣ったのでありました。
    私はそれを冗談と聞き流し、千葉B氏は左様である、と聴いたのでありました。

         
    小荒沢林道の入り口でまだ意気揚々のメンバー

     升沢までの道々、例年と比べるとずいぶんと雪は多い訳です。
    が、しかし、1メートルも積もっちまえば後は2メートルでも3メートルでも一緒だわい、と、この時点でもおっさんはまだ全然余裕で行けると思っていたし、早く着いたら前船形山アタックでも敢行してやるかな、などと戯けた事を考えていたのでありました。

     ほぼ8時、小荒沢林道へ踏み込み、スタートしたのであります。
    まず、おっさんが下見に訪れた12月末頃とは条件はまるっきり違い、新雪の深雪でありまして、スノーシューを履いていても膝程度まで足が潜っちまうのでありました。
    これは参ったな、と思いつつも他のメンバーに弱みは見せられないと気合いを入れて歩くんでありますが、いやはや、ナントもカントも一歩事に沈み込む雪に前途多難を感じるのでありました。

     で、本日はおっさんは燃料係でありまして、暖房用に使うべく「炭」を8キロばかり背負っている訳で、背負子に括りつけた個人装備と飲料などを加えると23〜24キロの荷になっている訳です・・・うーむ、体重と込みで100キロだもんな、ナンボ優秀なスノーシューでも沈むわな、と納得せざるを得ない訳です。
    いや、単独で18キロ程度を背負い新雪のラッセルを何度もこなしているのでありますが気温が低かったこの日の雪は雪質もそう言う事でありまして、サラサラパウダーでとても良く潜る訳でありました。

     歩き始めてから直ぐに先頭を交代して行く方式のラッセルで進んだんでありますがこれに使うパワーが尋常ではない訳です。
    まず、一人が頑張って引っ張れる距離は精々が300メートルも有りましょうか?
    屁タレなおっさんは直ぐに音を上げちまって殆ど役に立たなくて、紅一点の小柄なヨッちゃんにさえ遅れをとる情けない有様になっておりました。
    いや、先頭がラッセルして2番手に居たとしますと、2番手なら楽かと言うと、それからまだまだ沈む訳で、楽して歩けるのは最後尾に廻った時だけと言う有様なのです。

     やがて、独りだけ山スキーで歩いている千葉B氏が皆を引き離して前に出て先頭を引いた訳です。
    確かにスキーは板を前に出すと雪の上に浮くのでスノーシューより楽では有るけれども、しかし、8キロの距離をずっと先頭で行くのは余りにもしんどい訳であります。
    最初の休憩の時に歩いた距離をGPSで確認すると、まさかと言う程に僅かでありました。

     その後も千葉B氏が先頭を買って出てラッセルした後をスノーシューの4名が追ったのでありますが、スキーの幅は狭く、スノーシューは容赦なく沈み、喘ぎながら汗だくで林道を登って行った訳であります。
    2度目の休憩で確認した歩行距離も、何かの間違いだろう?と言う程に少ないものでありまして、この時点でようやく、事の重大さを感じ始めていたのでありました。

       さて、歩いているのは林道でありまして、無雪期には車が通れる道でありますから傾斜は大した事無いのが救いでして、風向きも西風や北風が当たらない斜面であり、本日の行程の中でも楽な部類の場所を歩いて来た訳であります。
    で、3度目の休憩の時に先頭を歩き続けた千葉B氏が口を切りまして「日没までに大滝に着かないよわ・・・どーすっぺねぇ?」と言ったのであります。
    加えて、もう少しで群境を越えるんで、そこからは風も当たるし雪も一段と深くなるんでこれまでよりもシンドイ行程になるんだけれども、どーすっぺね、とのご意見が出た訳であります。
    おっさんの考えは一も二も無く撤退で決まっていたので、千葉B氏の意見に賛成で、他のメンバーも異口同音でありました。
    ここまで、3時間掛けて進んだのが3キロでありました。
    おっさんが下見で歩いた時には、全行程を3時間で歩いたので、ここまで、あの日の三割程度の速度で歩いていた事になる訳で、残りを計算すると、今までと同じスピードで歩けたとしても日没と追いかけっこになっちまう訳です。

    3時間歩いてまだここ?と諦めムード充満の休憩風景

     さて、撤退と決まったからには次善の策を講じなければならない訳で、要するに何処がで「男飯」を喰いつつ、夏の遠征山行の計画を練る場を探さなければならない訳であります。
    千葉B氏から雪洞を掘ったらドーだろうか?と言う案が出され良さそうな斜面を物色してみたのですが、積雪が中途半端で高さと奥行きに満足出来る雪洞が掘れる様子は無く、緊急避難的ビバーク用の雪洞では「男飯」の宴会も虚しいものになると言う事で雪洞案は却下。
    現実的な路線として、スキーで早く下れる千葉B氏がさっさと車まで戻って家に帰り(千葉B氏の家はキャンプ場から37分程度)大型テントを持って来てキャンプを張ると言う事に決まった訳です。

     そうと決まれば千葉B氏は颯爽とスキーで下山して行き、我々は下りの呑気さから道々写真など撮ったりして、ラッセルされた道を気持ちよく下ったのでありました。
    登りに3時間を要した行程を45分程で下って船形神社の鳥居が見える所に差し掛かった時、神社の社務所のような建物に屋根が有る事を思い出したのであります。
    で、「神社の下の掘建て小屋は吹き抜けだけれども屋根は有るんでどんなもんだべねぇ?」と提案してみた訳であります。
    「んだんだ、見る価値はあるな」と言う事で林道から小屋まで、膝以上、股下までのラッセルで小屋に辿り着いてみると、風向きの塩梅で雪が吹き込んでないスペースがあり「これなら寝られるな」となって「男飯」の会場はここに決まったのであります。
    で、この朗報を千葉B氏に連絡しようと携帯を取り出したのでありますが電波の無い場所でありましてダメでした。
    しかし、結果的には千葉B氏が持って来てくれた特大のコールマンの6人用テントを小屋の中に張った為に宴会は快適でまったく寒く無い夜を過ごした訳であります・・・夜の外気温は氷点下12度でありました。
    しかし、コールマンのテントは恐ろしいものであります・・・普通は6人用と言うと精々が4人で丁度な訳ですが、これは身長180センチの千葉B氏が立っても余裕で、大人五人が好きに寝ても隙間が空くと言う広大な代物であった訳です・・・いや、アメリカサイズには恐れ入りました。

     さて、先ほどから言っています「男飯」は、三浦S氏が自宅で下ごしらえをして来た鍋物でありまして、要するに、男が作る飯だから「男飯」だと言う事でありまして、さして深い意味は無いようであります。
    しかし、三浦S氏は大した事はしていない、白菜を切って肉を挟んだだけだと申しておりましたが、恐らくは門外不出の秘伝の何かが隠されていたのでありましょう・・・美味いものでありました。
    で、最初は和出汁の薄味でシンプルに喰ったんでありますが、やがてキムチ鍋の素などを入れたらまた趣きが変わりまして食が進む訳であります。
    夜飯には米を喰うおっさんとしては是非腹を一杯にして眠りたい所でありますが、鍋は便利でありまして、餅などぶち込んでおくとこれがまた美味で腹具合に宜しい訳です。
    で、おっさんは思ったんでありますが、三浦S氏は座を決めてソコに陣取ってから一度も立つ事無く、刃物を使う事も無く、総ての料理を手早く完結させた訳であります。
    なるほど、この段取りが「男飯」なのであるな、と・・・今思い出して書きつつ、閃いたのであります。

    良く写っていない所が程良い「男飯」であります

     呑んで喰って、喰って呑んで・・・そうです、当初の目的の夏の遠征の打ち合わせなんでありますが、結局は何となく北アルプスで、槍から北穂高まで縦走だな、と言う事で、入り口は上高地か新穂高かで、決まったような決まらなかったような・・・まっ、半年先だから、と言う事で。
    で、晩飯創作と言う大役で疲れたのか、三浦S氏は早々と就寝し、酒に意地汚いおっさんはいつまでも名残惜しくて呑み続け、それに千葉S氏も付き合って、一通り有るだけ呑んだと思ったら、S氏が「焼酎有るっちゃ」と言ったのでありますが、これ以上呑んだらヤバイ、と思ったのでおっさんも小便などして就寝でありました。
    この時、千葉S氏が小さめの空カンで手製で造って来た七輪に練炭と炭を入れて燃やし、その上に濡れたものを干していたのが随分と乾いている事を発見し、こんな物でもすごい熱量であるなと驚く事頻りでありました。
    たぶん、千葉S氏が頑張って工夫したビニールシートの天井に熱が溜まっての結果なので有りましょう・・・S氏は、次はブルーシートを何枚持ってくれば完璧であるなと測量をしておりました、が・・・次回が有るのかドーか?

    いや、プロのホームレスならもっときちんとするんでしょうけれども・・・

     朝は結構早めに起きたんでありますが、しかし、起きても予定が無い訳で、七輪にガンガンと火を起こし、無駄に炭を消費してみる訳です・・・なんたって8キロも持って来たんでありますが半分も使っていない訳で持って帰ると言っても使い道も無い訳で・・・結局はデポと称して縁の下に押し込んで隠して来たんでありますが。
    で、千葉B氏が朝飯の支度に取りかかり炭火で美味しくサンマの開きなどを焼き、レトルトとは言えおこわとみそ汁など頂いた訳であります。
    で、火が燃えていれば何かを焼いてみたくなるのが人情と言う物で、餅など焼いて喰ってみる訳です。
    ただ網で焼いて醤油をつけて喰ったんでありますが、我が人世でコレ程うまい餅を食った事が有っただろうかと言う程に美味いのであります・・・環境と言うのは恐ろしいもんです。

    ぷくーっと膨れるまで我慢するととても美味しいんですが、待てない人も居るんです

     で、他にする事も無い訳で、んじゃぁ飯喰ったら滝の原温泉にでも行くすか?と誰からとも無く本日の大まかな行動予定が示され、そう言う事になったら軽く一杯と言う事で、まだワインが残っていたっちゃねぇ?と、呑み始める訳であります。
    で、千葉B氏が、焼豚が残っていると言うんで、焼いて喰うべしと網に乗っけて喰ったんでありますが、これもまた絶品でありました。
    おっさんは物を美味くするのは調理や料理の腕も然ることながら、空腹感と環境なのではないか?この状況で喰って不味い物と言うのは存在しないのではないか?と結論付けたのでありますが・・・まっ、焼豚は普通に喰っても美味いもんでありますからね。

    炭火焼の焼豚です・・・ワインに合うと思うんですが、残っていたのは焼酎でした

     その後、ダラダラと有る物を何でも焼いて喰って、ついには千葉S氏の行動食のパンまで網で焼いたら、これも信じられない程美味くて、んじゃぁこれとコーヒーで昼飯だね、なんて事で荷物を纏めパッキングをして温泉に向った訳であります。

    朝の船形神社の鳥居の風景・・・キーンと冷えた空気に赤が映えます

     昔好きだった作家に椎名誠がいて、大の大人がたき火をする事だけを目的に集まるのを読んで偉く感動したのを覚えているんであります。
    で、そう言う事が出来る大人が羨ましかったんでありますが、ただ今現在、この度の事で自分が立派にそのような大人に成れた事を実感し、なんだか感慨深い物を感じつつ、やっぱし山は良いなぁ、と。


     この話 完


    山の状況、情報は適当ですので、ご注意下さい・・・


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